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2016年09月22日

大使主催「日独協会夏祭り 2016」 参加報告

9月22日、東京のドイツ大使公邸での「夏祭り」に出席いたしました。各地方からご参加の皆さまと懇談する機会に恵まれ、励まし励まされ、神戸に戻ったら活動も勉強も頑張ろう!と思う一方で、個人的に感じたことは次の2点です。

<1. 課題意識の温度差>
「夏祭り」への参加動機、あるいは日独協会に所属する目的意識・立場、また各日独協会の事情はそれぞれ異なりますので、それ自体が「良い/悪い」と言いたいのではなく、せっかくこのような場に集うことができたので、できればお互いに、少し立ち入った課題について懇談できたら良いのにと感じました。時間が限られていたことと、色々な立場の方が参加する中でこのような望みは難しい面がありますが、核心に迫る話題に触れ、お互いが次の一歩を踏み出すきっかけになると、より有意義だと思ったのでした。(しかしお互いが本気で語りだしたら夜通しになりそうです)

<2. 継続的コミュニケーションの大切さ>
日独青年交流を担う団体「日独ユースネットワーク」の方と懇談し、今年4月の全国日独協会連合会会合に引き続き、神戸の参加意思を伝えました。しかしこれからの連携・協力といった点については、参加する立場としても今後の課題であると認識しています。距離の隔たりや、お互いに自分が所属する協会の活動や勉強、仕事をしながらの関わりのため制約が大きいことは明白ですが、だからこそやはり、関係を途切れさせることなく「じっくり地道なコミュニケーションの継続が鍵」だと感じました。
私たちは会報やホームページを通じて神戸日独協会の情報を発信し、各日独協会の会報やブログ等から情報を受け取り、それについて自分たちはどう感じるのか、何ができるのかを考え、意見を交換できたら良いな、と思いました。これは「夏祭り」で知り合った各地方の方々に対しても同じと捉え、この出会いを大切にいたします。

今回は各日独協会の45歳以下の会員に参加が呼びかけられましたが、実際には幅広い年齢層の方が集まったとのことです。ヴェアテルン大使や通訳・翻訳課長のオステンさん、Youtube「ドンドンドイツ語」でおなじみのタベアさん、そして東京・神戸を含めた13の日独協会の「若者たち」にお目にかかることができました。本当は、年齢はあまり関係ないと思います。また何かでご一緒できる日が来ることを楽しみにしています。

2016年09月22日

神戸北野工房でアロマジェルキャンドル作り

9月のGJG「神戸再発見」では、トアロードに面して建つ北野工房のまちを訪れ、アロマジェルキャンドル作りを体験しました。旧北野小学校の校舎が商業施設として活用されていて、まず一階の入り口を通ると神戸ならではのお菓子やお酒の店舗が、二階では和ロウソク・アロマキャンドル・レザークラフト、アクセサリーなどクラフト体験ができる店舗が立ち並び、たくさんのお客さんで賑わっていました。
アロマキャンドル作りでは、グラスの中心に芯を立てて底に色とりどりの砂で下地を作り、貝殻・ビーズ・ガラス小物で装飾し、アロマキャンドルを流し込んでいきます。グラス底と中間層に装飾を施せるので参加したメンバーはそれぞれ個性的な作品を仕上げていました。
グラスの底と中間層の2箇所のデザインを考える時、砂の色やガラス小物の種類が何十種類もあり、皆さん素材選びに熱中していました。途中のアロマキャンドルを冷ます時間、旧北野学校を訪れた感想や、神戸とその他の学校、またドイツの学校の違いについて話が盛り上がりました。
体験終了後、1階の旧校長室で多くの資料を見ながら学校の歴史を知ることができました。中でも小学生用の机と椅子、時間割表が懐かしく感じられました。


2016年08月11日

藍染体験と金魚すくい

奈良日独協会の若手会員の方との合同企画で、大和郡山へ「藍染体験」と「金魚すくい」に行ってきました。 大和郡山は藍染でも金魚でも全国的に有名で、そこでそれぞれを体験できること、またお盆休暇とも重なり、私も勤め先の同僚を誘っての参加でした。

職人さんから藍染のしくみ(どうして染まるのか)や今回の体験でできる表現方法、そのための小物についてご説明いただいた後、いざ制作へ。 今回の体験で制作するものはハンカチでした。 参加者のみなさん、完成絵図を予想しながら、あるいは完成絵図は偶然に任せながら、 フィルムケースや割り箸、軽石、輪ゴムといった小物を布にくくりつけていきます。

染め液に浸す→水洗いを10回程度繰り返し、最後は酢で洗って水で軽く流し、脱水して乾かして完成!かと思いきや、 この後、新聞紙に巻き付けて2週間程寝かせてようやく完成とのことです。 留学生たちも日独協会会員も、最後までどんな絵図になるかわからないワクワク感を楽しんでいる様子でした。

藍染めの後は金魚すくいに参加して、「金魚が泳いでいる電話ボックス」と美味しいコーヒーで有名な喫茶店にて 皆さんとかき氷を食し、近鉄郡山駅でいったん解散。その後は駅付近の喫茶店にて懇親会がありました。

ずっと日本に住んでいても機会が無かった藍染めと、私個人としては約25年ぶりの金魚すくいを、ドイツの方と、また奈良日独協会のみなさんと体験でき、とてもすてきな夏の思い出ができたのでした。

みなさん、次の企画でもご一緒しましょう!

今回は参加者数が予想を大きく上回ったため、半数は町歩き班と金魚すくい班に分かれました。






2016年08月06日

ドイツビアフェスト2016

神戸日独協会主催のビアフェスト2016年がステーキ&ビアレストラン ロイン(三宮店)にて開催されました。

歌唱リーダー兼司会進行は次郎丸智希先生 (神戸日独協会理事・オペラクラス担当)と会員の清水裕子さん、そしてアコーディオン演奏は今年も平野新祐さん。
枡田会長のご挨拶で開催スタートし、「Ein Prosit!」の大合唱で乾杯! そしてアヒルのダンスでウォーミングアップ、さらに演奏に合わせて歌って踊って、会場のボルテージが上がったところでムカデ行進。 終盤には会員の野村さまにもご登壇いただき、アコーディオン演奏に合わせて「エーデルワイス」を合唱しました。 マイクを通さずとも会場いっぱいに響く美声は自分が歌うことを忘れてしまうほど。心を打つ歌声に拍手喝采でした。

お料理の種類も多くビールも飲み放題。飲んで食べて歌って踊って、愉快で軽妙な司会進行に会場は大盛り上がり。あっという間の2時間でした。

今年は参加できなかった方、いつか参加してみたいとお考えの方、来年は一緒に楽しみましょう!










開催案内

ビアレストラン ロイン

2016年07月16日

枡田会長にドイツ連邦共和国から功労十字勲章授与される/Ordenverleihung an den Präsidenten Prof. Masuda

枡田義一会長(神戸大学名誉教授)に6月30日神戸にて、ドイツ連邦共和国ヨアヒム・ガウク大統領名代のインゴ・カールステン総領事から、「ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章」が授与されました。

Im Namen des Bundespräsidenten Joachim Gauck überreichte Generalkonsul Dr. Ingo Karsten am 30. Juni an Herrn Prof. Masuda, den Präsidenten der Japanisch-Deutschen Gesellschaft Kobe, das Verdienstkreuz am Bande des Verdienstorden der Bundesrepublik Deutschland.

インゴ・カールステン総領事による褒称の辞(Deutsch/Japanisch)、勲記の内容(Deutsch)については会報をご参照(Nr.307抜粋)ください。
神戸日独協会 会報(Nr.307抜粋)

Ordenverleihung an den Präsidenten Prof. Masuda
Ordenverleihung an den Präsidenten Prof. Masuda
Ordenverleihung an den Präsidenten Prof. Masuda
Ordenverleihung an den Präsidenten Prof. Masuda

Laudatio von Generalkonsul Dr. Ingo Karsten
anlässlich der Verleihung des Verdienstkreuzes am Bande des Verdienstordens der Bundesrepublik Deutschland an Professor Yoshikazu Masuda am 30. Juni 2016.

Sehr verehrter Herr Professor Masuda, liebe Frau Masuda, sehr geehrte Gäste, es ist mir eine besondere Freude und große Ehre, Sie alle heute zur Überreichung des Bundesverdienstordens an Herrn Professor Masuda begrüßen zu können.
Herr Professor Masuda, Sie sind als langjähriges Mitglied der Japanisch-Deutschen Gesellschaft Kobe, als Vorstandsmitglied und als Vizepräsident die treibende Kraft und spiritus rector einer der aktivsten und innovativsten deutsch-japanischen Kulturgesell- schaften in Westjapan gewesen, deren häufige Veranstaltungen und vielfältige Aktivi- täten auf reges Interesse stoßen. Im vergangenen Jahr sind Sie, Herr Professor Masuda, auch zum Präsidenten der Japanisch-Deutschen Gesellschaft Kobe gewählt worden. Anders als viele Japanisch-Deutsche Gesellschaften organisiert die JDG Kobe nicht nur kulturelle Veranstaltungen, sondern widmet sich regelmäßig auch aktuellen deutsch- landbezogenen und im deutsch-japanischen Verhältnis relevanten Themen wie Energie- wende, demographischer Wandel, Erinnerungskultur und Aussöhnung. Diese Themen haben Sie, Herr Professor Masuda, mit großem Erfolg auch einem jungen Publikum zugänglich gemacht und damit junge Menschen für die japanisch-deutsche Freundschaft gewinnen können.
Ein weiteres Themengebiet, dem sich die JDG Kobe unter Ihrer Führung, Herr Professor Masuda, intensiv gewidmet hat, ist das Verhältnis Deutschlands zu seinen Nachbarländern und die europäische Einigung. Nach Ihrer Überzeugung ist das ein Thema, bei dem Japan von Deutschland lernen kann und das daher einem breiten Publikum zugänglich gemacht werden sollte. Ich hatte selbst das Vergnügen zusammen mit meinem französischen Kollegen an einer Diskussionsveranstaltung über den Elysée-Vertrag und die deutsch-französische Aussöhnung teilzunehmen.
Herr Professor Masuda, Sie pflegen seit einem Deutschstudium in den siebziger Jahren und einem Studienaufenthalt in München im Jahr 1985 enge Beziehungen zu Deutschland. Sie haben sich über viele Jahre hinweg intensiv für die Vertiefung des deutsch-japanischen Austausches eingesetzt. Als ehemaliges Mitglied des Nationalen Gremiums für Universitäts-Au fnahmeprüfungen waren Sie auch zuständig für das Fach Deutsch.
Auch bei Ihrer wissenschaftlichen Arbeit galt Ihr Interesse stets Deutschland und der Förderung der deutschen Sprache. Von 2010 - 2012 standen Sie der Gesellschaft für Germanistik Osaka-Kobe als Präsident vor. Sie sind Experte für mittelhochdeutsche Literatur, einen Schwerpunkt Ihrer Veröffentlichungen bildet das Nibelungenlied. Gleichzeitig haben Sie aber auch zu aktuellen Entwicklungen der deutschen Sprache publiziert und sich immer für den Unterricht der deutschen Sprache in Japan mit innovativen Unterrichtsmethoden eingesetzt.
In Würdigung Ihrer zahlreichen Aktivitäten und als Anerkennung für Ihr bisheriges Engagement hat der Bundespräsident, Herr Joachim Gauck, Ihnen, Herr Professor Masuda, das Verdienstkreuz am Bande des Verdienstordens der Bundesrepublik Deutschland verliehen.
Ich darf die Urkunde des Herrn Bundespräsidenten verlesen und den Orden überreichen.
Zur Verleihung des Verdienstordens darf ich Ihnen auch als Generalkonsul in Osaka-Kobe meinen herzlichen Glückwunsch aussprechen.

VERLEIHUNGSURKUNDE
IN ANERKENNUNG
DER UM DIE BUNDESREPUBLIK DEUTSCHLAND ERWORBENEN
BESONDEREN VERDIENSTE
VERLEIHE ICH
HERRN PROFESSOR
YOSHIKAZU MASUDA
DAS VERDIENSTKREUZ
AM BANDE
DES VERDIENSTORDENS DER BUNDESREPUBLIK DEUTSCHLAND

BERLIN, DEN 3. MAI 2016
DER BUNDESPRÄSIDENT
J GAUCK (Unterschrift)

枡田義一会長の謝辞
Karsten総領事様、御列席の皆様
この度、「ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章」が私に授与されましたことは、身に余る光栄であり、非常に嬉しく存じます。
ほぼ半世紀前に獨協高校でドイツ語を学び始めた時には、このような栄誉に浴することができるなど思いも寄りませんでした。この栄誉はひとえに多年にわたって多くの皆様に支えられてのお蔭と心から感謝いたしています。
東京外国語大学でドイツ語学を専攻して以来、一貫してフィロロギーの立場からドイツ語の史的研究に従事してきました。特にゲルマン諸語における「格組織の衰退と言語構造の変容」を研究テーマとしてきました。 今の私があるのも、これまでに薫陶をいただいた藤田五郎教授、塩谷饒教授をはじめ多くの恩師、大学・大学院や北海道・関西での研究会で互いに切磋琢磨をしてきた仲間たちのお蔭と深く感謝をしています。
私のドイツ語力と語学的知識は、高校時代に通った東京の日独協会のドイツ語講習会やゲーテインスティテュートにて、研究者になってからの独文学会や各種の研究会での活動にて培うことができましたことを有難く思っています。
このように私が受けてきました学問上の恩に報いるためにも、私は大学の場にとどまらず積極的に日独協会をはじめドイツに関する活動に参加してきました。このような活動の場で多くのドイツ人並びに様々な分野のドイツファンに出合い、 ドイツとの関係を深めることができました。特に神戸日独協会の加藤一郎・黒崎勇両元会長からは民間の国際交流団体が果たすべき活動の精神をお教えいただきました。
私は、この功労勲章はただ私の業績にではなく、グローバル化の時代にふさわしく現在のドイツを巡る諸問題に関心を持ち、地域とのグローカルな国際交流を目ざして、 常に年齢や男女の別などを超えて協会員が結集して活発に行ってきました神戸日独協会の活動が認められて与えられたものと理解しています。今回の受章により日独交流の長く輝かしい歴史を持つ神戸日独協会の伝統を引き継ぐことができましたことを、特に嬉しく思っています。
グローバル化した現代において異なる民族・国民を理解尊重するためには、その言語・文化・精神性を正しく認識しなければなりません。これは私がこれまでの研究の立場としてきましたフィロロギーの理念に通じるものがあります。 私はゲルマニストとして今後とも神戸日独協会などの活動を通じて日独両国間の交流の発展に一層の努力をする決意でおります。
カールステン総領事様に対しましては、叙勲のためのご尽力に対して、そしてこのような素晴らしい伝達式を行ってくださいましたことに、心から御礼を申し上げます。
御列席の皆様に対しましても、今日ここに私の功労十字勲章の受章にお立合いいただき、心より御礼を申し上げます。
本日、言葉では言い尽くせない人生最良の日を妻節子とともに迎えられましたことを心から感謝しています。ありがとうございました。

Ordenverleihung an den Präsidenten Prof. Masuda


ドイツ大使館「枡田義一氏の勲章伝達式(2016年6月30日)」

神戸新聞(2016年7月1日)PDF

神戸新聞NEXT「神戸日独協会会長にドイツ政府が勲章」(2016年7月1日)

神戸日独協会 お知らせ
「神戸日独協会の枡田会長、ドイツ政府から「功労勲章功労十字小綬章」を贈られる」(2016年6月30日)

2016年07月03日

神戸市立外国人墓地の見学会

神戸日独協会の催しで神戸市立外国人墓地を見学してきました。2017年1月は神戸開港150年。「神戸で活動したドイツ人と地域との交流の足跡を今日的なグローカルな観点から今一度辿り、神戸とドイツとの交流の特質を明らかにして、これからの交流の将来像を考えたい」ということで、一般の公開日とは別に、ガイドさん付き見学の機会を賜ることができました。今回は奈良日独協会や和歌山からもご参加いただき、参加者同士の親交を深めながらの見学会となりました。

事前に墓地見学時のマナーについて説明がありました。具体的には、大きな声で喋らない、見学ルートを外れない、写真撮影は許可エリアのみなど、故人の眠りを妨げないことが原則です。このマナーやご遺族のご意向もあり、ドイツ人のお墓にフォーカスした見学は難しいのですが、神戸の文化・教育・経済等の発展に寄与した外国人の方々のお墓の解説を一通り受けることができました。



お墓は概ね宗教ごとにエリア分けされています。墓石の形状が多種多様、故人の信条や生前の職業を示すシンボルがあしらわれている点、また区画がきっちりと仕切られていない(ように見える)点が日本のお墓とは明確に異なる点です。国別の基数としては、イギリス、アメリカについでドイツが3番目に多く、神戸では身近な存在のモロゾフさんやフロインドリーブさんのお墓もここにあります。
個々のお墓すべてに対し解説があるわけでは無いので、墓石に刻まれた文字列からどこの国の墓なのかを推測する必要があります。もちろんドイツ語を探しながら見学しました。
印象的だったのはフリーメイソン会員のお墓。ハッキリとあのコンパスと定規のシンボルが刻まれており、「会員であることは秘密」がルールだと思っていた私は思わずスケッチしたのでした。この見学日の時点で55基があるそうです。
それから、墓石に刻まれた「R・I・P」*1「IN LOVING MEMORY OF ○○○」*2「HIER RUHEN IN FRIEDEN」*3といった文字列の一つひとつも自然と目で追って歩きました。
そして今回、個人的には一番鮮烈な記憶となったのは、ゾロアスター教のお墓でした。「拝火教」の名の通り、燃え盛る炎のシンボルがあしらわれています。キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒でしたらしばしば街中で、あるいはTVで見かけることがありますが、ゾロアスター教については未だかつて世界史の教科書以外で目にしたことがなかったので、描きとめずにはいられなかったのでした。

ドイツ人のお墓に関してはごく限られた見学となりましたが、明治以来、日本と関わりをもった外国人など約2,500柱の一部を壮観することができました。約150年の間に、ここで見えているだけでもこれだけの外国人が神戸と交流があり、故人一人ひとりが日本を、神戸をどのように見ていたのか、具体的にどんな交流があったのか、あらためて知る機会ができると良いなと思いました。そして私は、ガイドさんからご紹介があったゴードン・スミスの「ニッポン仰天日記」を後日、手にしたのであります。


解説いただいたお墓は下記の通りです。
・ジョン・マーシャル<英>(神戸港の開発)
・エドワード・ハズレット・ハンター<英>(造船業)
・アレキサンダー・キャメロン・シム<英>(18番ラムネの発明)
・モロゾフ<露>(洋菓子)
・イライザ・タルカット<米>(神戸女学院創始者)
・エドワード・クラーク<英>(日本ラグビーの父)
・ゴードン・スミス<英>(博物学者)
・フロインドリーブ<独>(パン職人)
・ヘルマン・ボーネル<独>(板東俘虜、日本初の"第九"演奏会)
・ジョセフィーヌ・ドレン<仏>(オシャレ・ハイカラ・モダンな神戸文化に貢献)
・フランス水兵のお墓(堺事件の犠牲者)
・アメリカ艦隊遭難事故のお墓

神戸市立外国人墓地は森林植物園の一つ前のバス停、再度公園(ふたたびこうえん)の中で、六甲山上にあります。この日は梅雨の中休みの快晴。甲子園球場3個分の敷地の中を約2時間程度で、500mlのペットボトルの水2本を飲み干せるほどの暑さも記憶に残った見学会でした。

*1:欧米の墓に刻まれる文字。ラテン語 Requiescat in Pace の頭文字で、「安らかに眠れ」という意味。英語バクロニムで Rest in Peace と書かれることもある。 (Wikipediaより)
*2:葬った側から、亡くなった方へのメッセージ。「あなたを偲んで」
*3:「安らかに眠れ」という意味(Wikipediaより)


(開催案内)「神戸市立外国人墓地」見学会/Führung durch den Ausländerfriedhof von Kobe

GJGについて

2016年07月03日

日独交流150周年記念樹の成長

2012年6月2日、神戸市の東遊園地内に日独交流150周年の記念樹として菩提樹の植樹式が行われました。あれから4年の2016年7月3日(日)快晴の日に成長の様子を見てまいりました。

植樹式の写真と比べると、ずいぶん成長したように見えます。「日独友好のしるし」としてこれからもすくすくと成長していくことを願っています。

2016年06月25日

Gemütlich!「初夏の遠足」ドイツ住居の居心地の良さに触れる旅

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神戸日独協会の法人会員オスモ&デーデル株式会社より、三田市のモデルハウスおよび、三木市本社のショールーム見学会のご提案を賜り、"「初夏の遠足」ドイツ住居の居心地の良さに触れる旅"を実施しました。

今回は特別に、オスモ&エーデル社よりバスをご手配いただき、現地まではバスで移動しました。まずは三田市のモデルハウスを見学。その後、三木市の本社ショールームへ移動し、ドイツの家体験コーナー、屋上庭園、建材などを見学した後、バースペースにて「ベックシュタイン」のワインとドイツ仕込みのハム&ソーセージでワインパーティーという充実の行程でした。

外付けブラインドと無垢のフローリングでGemütlich!

三田市のモデルハウスは、たくさんの窓でどの部屋も明るい2階建て。外付けブラインドで調光でき、またこのブラインドが日射エネルギーを遮断するため、窓からの熱による室温の上昇を抑えることができるようになっています。窓は、内開き、内倒しの2通りで開閉できるドイツ式。複層ガラスになっていて、遮音性、遮熱性、機密性に優れています。これにより、省エネと快適な生活が両立できるのです。
「寝室が西日で暑くて夏は寝苦しい」という知人にぜひオススメしたいと思いました。
そして床は無垢フローリング。本物の木ならではの手触りと重厚感があり、自宅の改装時に無垢フローリングを諦めてしまった私は、スリッパを脱いで本物の木の感触を確かめたのでした。
参加者のみなさんは、ブラインドや窓を開けたり閉めたり、オスモ&エーデル社の方に質問したりと興味津々。オスモ&エーデル社のみなさまにとても丁寧に説明してくださっている様子でした。

ショールームにて開催されたワインパーティーでは、オスモ&エーデル社の松下会長からドイツへの想い、そしてドイツ式住居への想いについて語っていただけました。衣食住のうち「住」に対して関心の強いドイツの住居について一言「Gemütlich(快適)」と仰っていたこと、それから、ご自身のこれまでの歩みについては"40年間ドイツ一色"と楽しそうなご様子で語られていたがとても印象的で、今日のモデルハウス見学を思い返し「あのブラインドとフローリングはこの想いがあってこそなのね」と納得したのと同時に、いつかまたお話の聞く機会を持てたら良いなと思ったのでした。

ちなみにお土産にいただいた冊子『モルゲン氏の"ドイツこぼれ話"』には、モルゲン氏(松下会長)の目を通したドイツの話題が20話にわたって綴られています。

梅雨らしい空模様で出発しましたが、帰りに三宮に送り届けていただくまで終始「Gemütlich」な初夏の遠足でした。

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2016年05月20日

塞翁が馬(2016年4月27日/第9回 『ドイツ語と出会って』感想文)

第9回ドイツ文化サロン

自分の意志で海外へ行き、キャリアを積まれた方のトップバッターとして大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館の飛鳥井たまきさんのお話を伺うことができました。2004年から総領事館で勤務され、文化部を担当、また総領事の通訳として忙しく毎日を過ごされているようですが、好きな仕事、ご主人様、お嬢さんに囲まれ毎日が充実しているそうです。
しかし、ここにたどり着くまで、様々な紆余曲折がおありになったようです。しかし、お話をお伺いしていると、どんな時も前向きでポジティブなお姿に勇気と元気を頂戴いたしました。

飛鳥井さんのお話をお伺いしていると、その人生にはいくつかのターニングポイントと影響を与えた人たちがいたように思われます。
ご本人の弁によれば、ご家庭の状況もあり、条件に合うように消去法で不本意な大学入学をされたということですが、そのような中でも、学力、人格においても一定の高いレベルを保っておられたのは、現在のお姿につながっているように感じました。
大学時代に、知り合いのご家庭のお嬢さんから、ベルリン生活の様子を聞いたことで、淡いドイツ語に対する思いを持たれたようです。また、ドイツ語の論理的でクリアな部分が性格にも合っていたのかも知れません。大学の選択科目もドイツ語を選ばれました。通っていた大学がハイデルベルク大学と学生交換をしていたことから、留学経験のある男子学生に積極的に相談をし、未知の世界を経験したいという大きな目標のもと、留学選抜試験を目指し努力なさったのだそうです。しかし、希望は叶わず、相談者でもあった彼との別離も同時に訪れ、人生での大きな挫折を味わいました。

しかしその後、視点を変え、私費でドイツ留学を果たした後、女子寮での生活を通し、ドイツ語能力をどんどん高めていきましたが、特にドイツ語学校での「かな子ちゃん」との毎日の授業の確認作業が、大きな成果をもたらしたようです。

帰国後、大学院へと進まれるのですが、この時の「大学院への進学について相談した男性(後のご主人様)」との絆は、しっかりと現在に至っておられます!ドイツ留学中から始めていた通訳のお仕事を帰国後も続け、重要な代表団や様々なシチュエーションでの実績を積まれました。通訳者の勉強会で、メモの取り方などのスキルを磨かれたそうです。通訳業務の事前準備をされているお話には、頭が下がる思いです。どのような分野にも対応しなければならないので本当に大変です。そうこうしているうちに、総領事館から通訳官の面接のお誘いを受けられましたが、残念にも他の方が採用されましたが、その後も通訳の実績を積まれ、家庭的にはお嬢さんの誕生もあり、3年後再び総領事館からのお誘いがあった時には、「満を持して」という言葉がピッタリ!総領事部文化部でのお仕事が始まったのです。

休憩(お食事)時間を挟み質疑応答では、日本語とドイツ語との細かいニュアンスの違いはあるにせよ、話し手が何かを話したら必ず何かの言葉で通訳するよう努める、資料は必ずしも早く手に入るとは限らないので、通訳するテーマについて自分から積極的に集めるように努力するなど、日々の並々ならぬ努力が垣間見えます。緊張を強いられるお仕事にもかかわらず、若い人へのメッセージは「塞翁が馬」と、様々な挫折の後、好きな仕事と愛する家庭に囲まれている飛鳥井さんご自身が、本当に「今」を楽しんでいらっしゃるのだと感じました。

最後に印象に残った講演者としてカウダーキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)院内総務の名前を挙げられました。次回の来日講演会を楽しみにしています。

(会員 Sung Kwang-Hye)

(開催案内)第9回 ドイツ文化サロン 『ドイツ語と出会って』

2016年05月20日

好きなことを仕事にできる幸せ(2016年4月27日/第9回 『ドイツ語と出会って』感想文)

第9回ドイツ文化サロン

今回はドイツ総領事館の通訳としてご活躍の飛鳥井たまきさんより「ドイツ語と出会って」のタイトルで、飛鳥井さんがドイツ語と出会い、ドイツ総領事館の通訳となり、現在に至るまでのエピソードを中心にお話いただきました。この「ドイツ語と出会い、ドイツ総領事館の通訳となり」までのエピソードを一言で表すと"波瀾万丈"と書きたくなるほど山と谷が連続するのですが、しかし内容は決してそうではなく、一貫して「好きなこと(ドイツ語)を仕事にするため」の"努力と決断"の連続。この"努力と決断"があってこその現在のキャリアと幸せ、またそれらを応援してくださった周囲の方に感謝されるお姿に、とても励まされました。

飛鳥井さんは、ご家族の影響もあり大学生の時に第二外国語としてドイツ語を学びはじめました。初めから通訳を目標としていたわけではなく、また在学中はドイツ語を通じた出会いと青春の苦みを経験し、国費留学を志して猛勉強したものの選考からは落ち、しかし私費でドイツに留学する道を選び、そのための資金もご自身で稼ぎ、大学卒業後にドイツに渡りました。ドイツでも勤倹力行の日々を送り、一年後には私費留学を一年延長することを決断。将来を鑑み帰国を決断され、やはり好きなドイツ語を仕事にしたい想いで通訳を志し、ドイツ総領事館の通訳採用試験も一度は不採用になったものの、努力と出会いを大切にしてきた結果、現在のキャリアに至った、というエピソードでした。

私が一番心に残ったことは、飛鳥井さんが「好きなことを仕事にする幸せ」を語ってくださったことです。好きだけれど、初めは人より特別に優れているわけではないけれど、諦めずに努力して、感謝して、時には大きな決断をして掴んだ仕事。"波瀾万丈"あるけれど、ドイツ語を仕事にしたいという一貫した想いで"努力と決断"を続けられた様々なエピソードに、紆余曲折の末に至った私自身のキャリアとドイツ語との出会いを重ね、そしてそれを応援してくださる方々の顔を思い浮かべながら、「好きなことを仕事にできる幸せ」を噛み締めました。

それから「外国語を身につけるためにはこの努力が必要だ!」と思ったことは「(飛鳥井さんの場合は)一日3つ、伝えたいことを言い続けた」ことです。これを3ヶ月間続けたら、概ねことは言えるようになったとのことです。GW の5月3日(祝)の帰省時、新幹線で隣に座ったドイツ人に「今日は何の日?」とドイツ語で尋ねられ「憲法記念日」と答えられなかった私は、実家に到着後、辞書を開いたのでした。

(会員 日下澄子)

(開催案内)第9回 ドイツ文化サロン 『ドイツ語と出会って』