会員 押尾 愛子
女の子の一番なりたい職業は、パティシエ(ケーキ職人)だそうだ。だが、実際にパティシエとして働くのはなかなか大変で、子供の頃の夢を実現する人は多くはない。今回は、そんな夢を実現した人の話である。
ラッハマン 早希子さんは東京・横浜で生まれ育った。子供の頃からお菓子作りが大好きで、高
校卒業後はパティシエとなるために専門学校に進みたいと思ったが、親は普通の進学を勧めるので、短大に進み、将来、パティシエになった時に役にたつかなと栄養士の資格を取る。その後、ル・コルドン・ブルー東京校菓子ディプロム科でフランス菓子を学んでディプロムを取得。横浜元町アメリカンハウス”The Best Cheesecakes”で2年間働いた後、アメリカに留学。サンフランシスコでホームステイしながら英語を学び、アメリカのお菓子、デコレーションを勉強した。同じチョコレートでも日本とアメリカでは全然材料が違い、出来上がりも違うのに驚いたと言う。
その後、日本に帰ってからドイツ人男性と知り合い、後にこの男性と結婚することになる。2004年に渡独して、ドイツ語を学びながら、デュッセルドルフの日本人のカフェでパティシエとして勤務する。ここまででもなかなかドラマチックなのに、早希子さんが飛躍するのはここからである。
早希子さんにいくら資格があり実績があっても、その資格も実績もドイツでは通用しない。「君が本当にパティシエとして働きたいのなら、マイスターの資格を取るほうがいい」とアドバイスしてくれたのは、ご主人である。早希子さんはそれまで、マイスターの資格を取ろうなどと考えたこともなかった。ドイツでは共働きは普通のことだし、マイスターの資格があれば将来、自分の店を持つこともできる。早希子さんは2006年に結婚して2008年に長女が生まれていたが、子供が小さいうちは勉強するチャンスでもある。そこでマイスター資格を取るために、2009年にHandwerkskammer(手工業会議所)でマイスター試験3、4級の講習を受ける。マイスターの試験は専門分野の1、2級と、Handwerk(手工業)に共通の3、4級とに分かれ、3、4級では経営学とか簿記とか、後進の指導についてとか、将来、独立して店を持った時に必要な知識を学ぶ。デュッセルドルフの近くには菓子の専門学校がなかったので、とりあえず3、4級を取ることにした。授業はドイツ語で、早希子さんは授業中ひたすらメモをとり、自宅でご主人にそれを説明してもらったという。2010年1月に終了し、2010年9月には長男が誕生。
次は1、2級である。ご主人の仕事の関係で Erlangen に移り住んだのを機に、2011年に単身で、ベルリンの Akademie der Konditoren Innung Berlin で2~3ヶ月の集中講座を受けることにする。その時は Dessau のご主人の実家に大変お世話になったという。Dessau は丁度、ご主人のいる Erlangen と早希子さんが講習を受けているベルリンの中間にあたり、早希子さんが子供たちと会うのも、このご主人の実家だった。マイスターの試験では、筆記のほかに実技がある。アメ細工、バウムクーヘン、チョコレート、プチフール、トルテ、マジパン、フィンガーフード、アイスクリームなどを、店頭にディスプレイするような感じに、2日半かけてひとりで制作するのである。
こうしてドイツ菓子マイスターの資格を取得して、2013年には Erlangen で子育てをしながら、お菓子教室を開催。日本人にはドイツ菓子を教え、ドイツ人には抹茶を使ってちょっと日本風にアレンジしたりもした。2015年にはパーティ、ケイタリングサービス会社のデザート部門を担当、一番多い時は2,000人分のデザートをひとりで用意したという。ドイツは、休みも取りやすいし、子供を幼稚園に預けて働きやすかったという。
では、何故、今、神戸にいるのだろうか? これもご主人の提案だ。ドイツ人と日本人の間に生まれた子供は、ドイツと日本、両方のことを知るべきだ。子供が小さい今のうちに、日本に慣れるほうがいいのではないか。しかしドイツ語を忘れても困るので、できれば週1回ドイツ語も学べるような環境がいい。こうして調べた結果、白羽の矢が当たったのが神戸・六甲アイランドである。2016年に家族で神戸に下見に来て気に入り、2017年に移り住んだ。そして早希子さんは、にしむらコーヒーが経営する御影のセセシオンに職を見つけた。製菓ではなくて、販売・管理のマネージャーだが、この経験は自分で店を持った時に役に立つだろう。六甲アイランドは外国人も多くて住みやすく、子供たちも学校生活を楽しんでいるという。
ラッハマン 早希子さんの生き方から学ぶことは多い。第一に、子供の時の夢を忘れないこと。アメリカのお菓子に始まり、フランス菓子を学んで、ドイツでマイスターの資格を取った。これなら今後どこに行っても通用する。第二に、ラッキーなのは早希子さんの夢を応援してくれるご主人の存在だ。「君は何をしたいんだ? きみの人生は夫と子供だけじゃないだろう。」こう言ってくれる男性がどのくらいいるだろうか? そして第三に、その夢を叶えるため、努力を惜しまない早希子さん自身の意志だ。こうして早希子さんは、子供の頃からの夢を実現した。
次は何を?という質問に、早希子さんは「分かりません」と答える。次に何があるか分からないけれど、目の前にあることに次々と挑戦して、また自分の道を切り開いていく。この柔軟さがあれば何だってできるだろう。何年か後にまた早希子さんに会って、その時、何をされているか、知りたいものだ。
Posted: 2018年10月13日 by jdg-admin
夢を実現する人
会員 押尾 愛子
女の子の一番なりたい職業は、パティシエ(ケーキ職人)だそうだ。だが、実際にパティシエとして働くのはなかなか大変で、子供の頃の夢を実現する人は多くはない。今回は、そんな夢を実現した人の話である。
ラッハマン 早希子さんは東京・横浜で生まれ育った。子供の頃からお菓子作りが大好きで、高
校卒業後はパティシエとなるために専門学校に進みたいと思ったが、親は普通の進学を勧めるので、短大に進み、将来、パティシエになった時に役にたつかなと栄養士の資格を取る。その後、ル・コルドン・ブルー東京校菓子ディプロム科でフランス菓子を学んでディプロムを取得。横浜元町アメリカンハウス”The Best Cheesecakes”で2年間働いた後、アメリカに留学。サンフランシスコでホームステイしながら英語を学び、アメリカのお菓子、デコレーションを勉強した。同じチョコレートでも日本とアメリカでは全然材料が違い、出来上がりも違うのに驚いたと言う。
その後、日本に帰ってからドイツ人男性と知り合い、後にこの男性と結婚することになる。2004年に渡独して、ドイツ語を学びながら、デュッセルドルフの日本人のカフェでパティシエとして勤務する。ここまででもなかなかドラマチックなのに、早希子さんが飛躍するのはここからである。
早希子さんにいくら資格があり実績があっても、その資格も実績もドイツでは通用しない。「君が本当にパティシエとして働きたいのなら、マイスターの資格を取るほうがいい」とアドバイスしてくれたのは、ご主人である。早希子さんはそれまで、マイスターの資格を取ろうなどと考えたこともなかった。ドイツでは共働きは普通のことだし、マイスターの資格があれば将来、自分の店を持つこともできる。早希子さんは2006年に結婚して2008年に長女が生まれていたが、子供が小さいうちは勉強するチャンスでもある。そこでマイスター資格を取るために、2009年にHandwerkskammer(手工業会議所)でマイスター試験3、4級の講習を受ける。マイスターの試験は専門分野の1、2級と、Handwerk(手工業)に共通の3、4級とに分かれ、3、4級では経営学とか簿記とか、後進の指導についてとか、将来、独立して店を持った時に必要な知識を学ぶ。デュッセルドルフの近くには菓子の専門学校がなかったので、とりあえず3、4級を取ることにした。授業はドイツ語で、早希子さんは授業中ひたすらメモをとり、自宅でご主人にそれを説明してもらったという。2010年1月に終了し、2010年9月には長男が誕生。
次は1、2級である。ご主人の仕事の関係で Erlangen に移り住んだのを機に、2011年に単身で、ベルリンの Akademie der Konditoren Innung Berlin で2~3ヶ月の集中講座を受けることにする。その時は Dessau のご主人の実家に大変お世話になったという。Dessau は丁度、ご主人のいる Erlangen と早希子さんが講習を受けているベルリンの中間にあたり、早希子さんが子供たちと会うのも、このご主人の実家だった。マイスターの試験では、筆記のほかに実技がある。アメ細工、バウムクーヘン、チョコレート、プチフール、トルテ、マジパン、フィンガーフード、アイスクリームなどを、店頭にディスプレイするような感じに、2日半かけてひとりで制作するのである。
こうしてドイツ菓子マイスターの資格を取得して、2013年には Erlangen で子育てをしながら、お菓子教室を開催。日本人にはドイツ菓子を教え、ドイツ人には抹茶を使ってちょっと日本風にアレンジしたりもした。2015年にはパーティ、ケイタリングサービス会社のデザート部門を担当、一番多い時は2,000人分のデザートをひとりで用意したという。ドイツは、休みも取りやすいし、子供を幼稚園に預けて働きやすかったという。
では、何故、今、神戸にいるのだろうか? これもご主人の提案だ。ドイツ人と日本人の間に生まれた子供は、ドイツと日本、両方のことを知るべきだ。子供が小さい今のうちに、日本に慣れるほうがいいのではないか。しかしドイツ語を忘れても困るので、できれば週1回ドイツ語も学べるような環境がいい。こうして調べた結果、白羽の矢が当たったのが神戸・六甲アイランドである。2016年に家族で神戸に下見に来て気に入り、2017年に移り住んだ。そして早希子さんは、にしむらコーヒーが経営する御影のセセシオンに職を見つけた。製菓ではなくて、販売・管理のマネージャーだが、この経験は自分で店を持った時に役に立つだろう。六甲アイランドは外国人も多くて住みやすく、子供たちも学校生活を楽しんでいるという。
ラッハマン 早希子さんの生き方から学ぶことは多い。第一に、子供の時の夢を忘れないこと。アメリカのお菓子に始まり、フランス菓子を学んで、ドイツでマイスターの資格を取った。これなら今後どこに行っても通用する。第二に、ラッキーなのは早希子さんの夢を応援してくれるご主人の存在だ。「君は何をしたいんだ? きみの人生は夫と子供だけじゃないだろう。」こう言ってくれる男性がどのくらいいるだろうか? そして第三に、その夢を叶えるため、努力を惜しまない早希子さん自身の意志だ。こうして早希子さんは、子供の頃からの夢を実現した。
次は何を?という質問に、早希子さんは「分かりません」と答える。次に何があるか分からないけれど、目の前にあることに次々と挑戦して、また自分の道を切り開いていく。この柔軟さがあれば何だってできるだろう。何年か後にまた早希子さんに会って、その時、何をされているか、知りたいものだ。
Category: ドイツ文化サロン
jdgkobe
神戸日独協会 フォロー
3月23日“Femocracy”上映会
ドキュメンタリーということもあってか参加者の皆さんの真剣さがひしひしと伝わってきました。
3月23日の映画会は肌寒い雨の中、最後まで参加者が関心をもって参加されていたと総領事は大変喜んでいらっしゃいました。
#ドイツ映画 #フェモクラシー
http://www.jdg-kobe.org
記録映画『フェモクラシ―』は「女性の最大の関心事は何を着るか?と何を料理するか?」と言われ、議員のほとんどを男性だった戦後のドイツ連邦議会で政治的意思決定を求め活動してきた女性議員たちを描きます。日本語字幕付。当日ドイツ総領事のごあいさつも。鑑賞無料。
2#ドイツ映画 #ドイツ連邦議会
3月23日15:00より神戸リガッタ倶楽部で映画会を催します。『フェモクラシー 不屈の女たち“Die Unbeugsamen”』。議員のほとんどが男性だった戦後ドイツ連邦議会で民主的政策決定を求め活動した女性議員たちの記録です。鑑賞無料。
#神戸日独協会 #ドイツ映画 #国際女性デー #HORIZONTE2023
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